自分の決められた道を走り通して
April 29th, 2013今日、使徒パウロの生き方を見ることができます。彼はなぜ偉大な生涯を送ることができたのか、それは彼の才能のゆえか、彼のおかれた環境のゆえか、今日私達は御言葉の本文を通して、彼が偉大な人生を送ることができたその秘訣を見ることができます。そしてそのような生き方を主はパウロを通して私達にチャレンジしております。
20:17パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。20:18長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。20:19すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。20:20役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。20:21神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。
教え続けてきたパウロ。様々な試練に遭いながらもここまで教え続けてきたパウロ。今の私達がこのようにあるのは、私達を支えている過去の人物や環境、状況の故にほかならない。今日、使徒パウロは、エフェソの人々に今まで使徒パウロがしてきた過去の出来事を思い起こさせようとしています。なぜ、私達は創立記念を礼拝するのでしょうか?私達が何かを記念するのは、過去の出来事を思い起こさせるためです。そしてそれを思い出し、心を新たにするためです。それは主に、悔い改めと感謝のためであると言えます。
私達は過去から何を学ぶのでしょうか?過去を通して、人々は悔い改め、感謝することができる人々は幸いな人です。将来に成功の希望があふれている人です。逆に過去から学ばない人は失敗の人生を歩むんでしまいます。
使徒パウロはエフェソの長老たちと別れようとしています。もはや二度と会う事はできない。その時に、パウロは今まで自分がしてきた事をもう一度思い起こさせるのです。
私達はどうでしょうか?
牧師先生のテロ事件や様々な出来事。
2番目に、使徒パウロの偉大さは、困難と試練に対して正面から立ち向かう人だった事です。
20:22そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。20:23ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。
そのような様々な出来事を踏まえて、それでは今、私がどうするかが大切なのです。なぜ使徒パウロは苦難に対して正面から立ち向かっていったのか?それは使徒パウロが初めてではありません。これは何よりも主イエス・キリストが我々に対して大きな模範を示されました。イエス様こそ、苦難に対して正面から向かっていくお方でした。なぜなら、それはカルバリの十字架の死に至るまで示されたからです。
フィリピ2:6~8
2:6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、2:7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、2:8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
そこで私達はどうすべきか?イエス・キリストを模範として、使徒パウロを模範として、我々は困難と試練に正面から立ち向かう者になりましょう。主はそのような人に必ず伴って下さいます。
イザヤ41:10恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。41:11見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆/恥を受け、辱められ/争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。
苦難に対してどのような姿勢で臨みますか?今、今日どうするかがその決断が大切です。苦難を避ける人生ではなく、苦難に立ち向かう人生を送る私達になりましょう。
三番目に、使徒パウロの人生は、その使命感によって導かれました。
20:24しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
人生における偉大な使命を見出した人は幸いな人です。
使徒パウロにとって福音を伝えることが彼の使命でありました。皆さん、使命とは何でしょうか?漢字では「命を使う」と書くのであります。使命とは、これができたら死んでも良い。しかし、これが成し遂げられるまでは死ねないし、死なない。というものが使命です。もっと簡単に言うと人生の目的です。多くの人々はこれが分からなくて悩んでいます。
日本の教育の問題、日本だけではないが。それは命よりも大切なものを教えることができない。それを教えると宗教教育になってしまうからです。だからとにかく生きなさいと言う。いじめられても、人生が辛くても、命が一番大切だから。とにかく生きなさいと言う。だけど、何のために?生きればよいのか分からないのです。4つのPのたとえ話にあるように、とにかく学校のグラウンドを全力で走りなさい。いつまでも、何周でも死ぬまで走りなさい。しかし、目的は分からない。死んだらどうなるのかも分からない。
とにかく、命が与えられたから、生きている限りは全力で生きなさい。こうしか言えないのは、世の人々が自分の命よりも大切なことを知らないからです。
星野富広さんの話。命が一番大切だと思っていた頃は、生きるのが辛かった。しかし、命よりももっと大切なものを見つけたとき、生きるのが楽になった。
わたしたちはただ生きることではなく、何のために命を使うかを考えなければなりません。しかし、聖書は言っています。主が与えてくださる使命は、命よりも大切なものです。
ある人は20万円お金を出してパソコンを買います。なぜでしょうか?20万円よりもパソコンの方が価値があると考えているからです。ある人は有名な絵画を買うために何億円も出す人がいます。私達には理解できないかもしれません。しかし、その人は何億円のお金よりもその絵画の方が価値があると考えるから、惜しまずにお金を出せるのです。私たちは何のためにお金を惜しまないのでしょうか?お金よりも価値があるもののためであります。それでは私たちは何のために自分の命を惜しまないのでしょうか?それは自分の命よりも価値があるものであります。皆さんは自分の命よりも価値あるものを知っていますか?世の中の人々はそれを知りません。学校の教育も、親も、命よりも価値あるものを教えることができないのです。世の中では命が世界で一番大事なものだということになっています。それでは何のために命を惜しまずに生きられるのでしょうか?世の中はただ生きることが全てです。長生きすれば幸せでしょうか?違います。私達は一度しかない自分の命を何のために使うのか?その使命が私達の人生に価値を与えるのです。3億円払うのに惜しまない絵画があるから、3億円に価値があるように、私達の人生も命を惜しまず捧げられる使命があるから、自分の命に大きな価値があるのです。人間の命は使命によって輝くのです。そして、クリスチャンは世の中が知らない、自分の命よりも大切な価値あるものを知っているのです。それはイエス・キリストであります。そしてキリストが私達に与える使命であります。神様の国と神様の義を求めることです。地の果てに至るまで命の福音を述べ伝えることです。その使命に向かって生きるとき、私たちの人生は大きく光り輝くのであります。使命とは命よりも価値あるものでなければなりません。主だけがそれを私達に与えることができます。主がそれぞれに与えてくださった使命があります。主が素晴らしい神様の働きの為に私たちの命を使ってくださいます。そして、その使命の為に私たちは人生を全うするものになりましょう。